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見つめることは、生きること。ゴッホの手紙を読む。

ゴッホの
手紙VINCENT
VAN GOGH
書影の仮デザイン

帰り道の空の色を、最後にゆっくり見たのはいつだろう。知っているつもりの風景も、目を留めれば、違う表情を見せる。ゴッホの手紙を開くと、その小さな発見に名前を与えたくなる。

今回読むのは、フィンセント・ファン・ゴッホの書簡 ↗。完成した絵だけを見ていると遠く感じられる画家が、言葉の中では、迷いながら世界を見つめる一人の人間として現れる。

ゴッホの麦わら帽子をかぶった自画像
フィンセント・ファン・ゴッホ《麦わら帽子をかぶった自画像》1887年。
The Metropolitan Museum of Art / Public Domain

ここでたどりたいのは、画家の生涯のあらすじだけではない。世界へ向けられた一人のまなざしだ。絵と言葉を行き来しながら、私たち自身の見方も、少しずつほどいていこう。

日々の暮らしの中で、私たちは多くのものを「もう知っている」と片づけてしまう。けれど、見ることと、知っていることは同じではない。いつも通り過ぎる木の影や、夕方の窓に映った色にも、まだ言葉になっていない何かがある。

“the sight of the stars
always makes me dream”Vincent van Gogh、テオ宛書簡638。1888年7月9日または10日。
オンライン校訂版、頁なし。原文と出典 ↗
引用に添える画像:上掲の自画像。

星を見て、想像する。そこでは、目の前にあるものと、まだ見えないものがつながっている。読むこともまた、同じような営みなのかもしれない。一人の言葉を入口に、自分の生活の中にある景色が、以前とは違って見えてくる。

一冊を閉じた、そのあとに。

この手紙から持ち帰りたいのは、特別な場所へ行くことよりも、いつもの場所で少し長く立ち止まることだ。すぐに意味や役割を決めず、目の前のものを、もう一度見てみる。

一冊を閉じても、世界は続いている。今日の帰り道には、空を見上げてみる。そのささやかな行動から、次の読書はもう始まっているのかもしれない。

ゴッホ本人による自画像

フィンセント・ファン・ゴッホ

1853–1890。オランダ生まれの画家。弟テオらへ宛てた手紙を通して、制作と日常を言葉に残した。

まなざし

何を見るか、どのように見るかという、その人と世界との関わり方。

デザイン確認用のサンプル記事

波の向こうに、まだ知らない世界がある。

波を見るとき、私たちは何を見ているのだろう。水そのものか、それとも、水を伝わっていくかたちか。北斎の絵の前に立つと、ふだんは聞き流してしまう問いが、急に手触りを持ちはじめる。

北斎の神奈川沖浪裏。波の向こうに富士山が見える
葛飾北斎《神奈川沖浪裏》1830–32年頃。
The Metropolitan Museum of Art / Public Domain

大きな波の先端は、指のようにも、枝のようにも見える。小さな泡のひとつひとつへ視線を移すと、ひとつだった景色の中に、いくつもの景色が現れてくる。

本を読むことも、この視線の動きに似ている。遠くから全体を眺め、ときには一つの言葉へ近づいてみる。理解とは、一度で見渡すことより、距離を変えながら何度も出会いなおすことなのかもしれない。

次に海を見るときは、波のかたちをひとつだけ追ってみたい。目の前の景色に問いを置く。それだけで、世界は、昨日より少し広くなる。

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